どうも。哲学とゲームを愛するクロムです。
初ブログの記事がこんなんでいいのかわかりませんが書いてみます
です・ます調とだ・である調の使いわけですが、
初回は私の考え方の根源、哲学に興味を持ったきっかけを語りたいと思います。
では、本文をどうぞ。
私は哲学が好きだ。
自己紹介でこんなことを言う奴は大抵変態だ。私がそうだから。
軽いノリで聞かれると「頭の固いやつ」「小難しくてノリ悪そう」
聞いても無いのに「好きな元素は元素番号24番のクロムです!」
私だ。
それとなく私のニックネームの由来を語ったところで本題に入る。
私は哲学が好きだ。
哲学というは具体的に「こんな学問です」とは答えられない。
でも哲学が好きなのだ。
昔は知の探究全般が哲学とされていたそうだが、
はっきりしない問題を「なんとなく答えてみた」
※これは私の認識であり、哲学者からしたら否定されるかもしれない(予防線)。
その哲学の世界に入ったきっかけといえば間違いなく「
マトリックスはスローモーションで仰け反りながら弾丸を避けるス
見てない方の為に簡単に説明すると
遠い未来、機会生命体に地球を乗っ取られた世界。
映画中盤、主人公は「機械に反抗する勢力」
主人公は「
この世界観が非常に哲学していて非常に面白い。
この世界という基盤自体がそもそも「現実」ではなく、
『「現実」って何?ここで生きてる自分は「現実」じゃないなら「
この根源的な問いに対して一定の解を得ようとするのが「哲学」
ソードアート・オンライン(以下SAO)
(マトリックスは1999年の作品だからこちらの方が参考になる
主人公キリトの一騎当千な活躍とハーレム加減からウザさを感じて
SAOの世界では「ゲーム内の死」が「現実の死」
「ゲームはただの空想だ」と切り捨てる大人と
「ゲームは現実そのものだ」
ここでも「現実」
「現実」とはどこにあるのか。
「ここ」が「現実ではない」なら「私」とは一体何者なのか?
「私」自身「ここ」にはいないのか?
あーもーそんなことは知らん!!!
分からん!!!
「ここ」
世界が嘘っぱちでなんにもなくても!
「私」は「ここ」にいる!!!
絶対に「私」は存在している!!!
これが「我思う故に我あり」と言ったルネ・デカルトの答え(
哲学的な問いには基本的にあまり答えがない。
何故ならあやふやな問いに対して、
しかも、答えが複数ある。
人によって違う。
前提が違うという人もいる。
はっきりとした答えがあまりない哲学の中で、
「我思う、故に我あり」である。
もし世界を含めたあらゆるものが嘘だとして、
私はこの考え方に非常に共感した。
超共感した。
あぁ、なるほどと。
涼宮ハルヒもびっくりなくらい共感した(涼宮ハルヒは哲学者)。
自分自身の存在証明は既に為されているのだと。
心の中で何か揺れ動かない芯のようなものが出来た。
たとえこの世界が上位世界によってつくられた仮想のものであったとしても、その中で生きている自分だけは本物であると。
その本物である自分自身を疑ってしまうことこそが、自分を本物たらしめている証左なのだと17世紀の人が言っていたことに驚いた。
なんとなく「自分」や「現実」について疑問に思っていたことが
マトリックスによってはっきりとした形で問題提起され、
デカルトの言葉によって解決(納得)した。
これが私の哲学の第一歩であった。
以上!
(以下蛇足)
ん?
もっと何かあるだろって?
そんなものはありません。
哲学ってそういうもんなのです。
哲学ってのは変な問いを永遠に悩むより、
それが普遍的な問いに普遍的な答えでなくてもいいです。
超個人的な問題でも哲学するのが大事です。
今回は『「現実」って何?ここで生きてる自分は「現実」じゃないなら「嘘」なの?』
という比較的広範な、陥りやすい問いに対してわかりやすい答えがありま
それを紹介したいだけの記事!でした!!
ここまで読んでいただいてありがとうございました!!
硬い文章の方が書きやすかったんで、だである調(常体)を使いましたが
ブログっぽくないんでもっと砕けた文章にしようと思います。
次回!
『守るべきものがある人』vs『守るものがない人』
哲学的に検証してみた!